みなさん、「江戸わずらい」という言葉をご存じでしょうか?
江戸時代はそれまで乱世だった戦国時代が徳川幕府によって天下統一されて終わりを告げ、人々の生活が豊かになっていきます。
火器に使われていた火薬が余って花火が生まれたり、庶民の生活も豊かになって芸術家が生まれたり、今に続く大衆文化が花開くのもこの時期です。
もちろん食生活も例外ではありません。お正月に食べるおせちも江戸の頃に原型が庶民の間に根付いた風習だと言われています。
なのに、この時期は豊かな生活をしているはずの上級武士の間で「江戸わずらい」という病が流行っていました。
当時は参勤交代と言われるように、地方の武士が江戸に一時的にとどまり、勤めを果たす習慣がありましたが、地方では何ともないのに、江戸に出てきてしばらくすると体調不良に見舞われることからこの「江戸わずらい」という名前が付きました。
実はこれは「脚気」です。つまり原因は摂取ビタミンの致命的な欠如です。
江戸にとどまっていた武士の中には、症状が悪化して心不全で命を落とす者もいました。
この原因のひとつと言われているのが、白米です。江戸は食が豊かになり、風味が良い白米が主流となっていました。
地方では粗末な雑穀を食べていた武士たちも、江戸に上がると体裁上、白米に主食を切り替えることが多かったことから、滞在が長引くほど決定的なビタミン不足に陥りました。
雑穀の栄養は、現代の食生活だけでなく、こんな時代にも日本人に大きな影響を与えていました。
ちなみに、江戸の不足したビタミンを補う役目を担っていたのが、そばだったと言われています。
今ではさっぱりメニューとして扱われていますが、当時は重要な栄養源だったのです。
よく、関西はうどん、江戸を中心とした関東はそばが主流と言われますが、こうした背景もあるのですね。